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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

終わらせない

2018.12.30 Sun

私にとって哀しくも激動の一年だったけれど、何だかんだと言いながら今年も終わる。
哀しくたってうれしくたって、不幸だって幸せだって時間は誰もが平等に過ぎて、今年も終わる。
3月13日に夫が逝って(先日読み返した『長野殺人事件』で、一回目の死体が発見れたのも3月13日だった。現在読み返した10冊のうち、3月13日が出てきたのは、これで4回目だ)初めの二ヶ月から三ヶ月は、毎日をただボーッとして過ごしていた。
エッセイを書いたり法的な後始末の作業などはちゃんとこなしていたが、それ以外はほんとうにただ呆けていたかもしれない。
一応自分の仕事は持っていたが、夫が作家になり浅見光彦倶楽部(「浅見光彦 友の会」の前身)を立ち上げて以来、私の時間の殆どは夫のために使っていた……と自分では思っている。
そして夫が病に倒れてからは、睡眠時間以外はほんとうに私の時間は夫のためだけのものだった。それが夫がいなくなり、ポカッと空いてしまった時間を、私はどう過ごせばいいのか途方に暮れていた。
ふと、このままでは私はボケてしまう……と我に返ったとき、変な言い方だけど友だちにも注意されて、これからの自分の時間は自分のために過ごそうと決心したのだった。そして手探りだけどボチボチ動き始めた。
知り合いの落語家からメールで届いた誘いに、落語を聞きに浅草まで行った。足が遠のいていたKバレエの『クレオパトラ』や『ロミオとジュリエット』にも行った。そして先日は二泊三日だったけれど、夫を連れて『飛鳥II』に乗ってきた(残念ながら、付いてきたのは妹だけど)。
なぜ『飛鳥II』かというと、催し物に往年のグループサウンズの人たちの演奏があったからだ。ザ・ゴールデン・カップスだのザ・ワイルドワンズ、それにブルー・コメッツなど。その中にパープル・シャドウズの名前もある。リーダーの今井久さんも乗ってくるようだ。
今井さんとは私たちが軽井沢に移るまで、かなりの付き合いがあった。早坂真紀・作詞、今井久・作曲でレコードも何枚かでているし、CMの仕事もかなりご一緒した。
音撮りのときは、録音スタジオのミキシングルームにはディレクターの内田康夫がいた。
そしてCMソング発表のために、何回か『パープル・シャドウズ』と旅もした。ほとんど私がカモだったけれど、今井さんご夫妻と我が夫婦とは麻雀仲間でもあった。
だけど夫が作家になり軽井沢に移って以来、音信が途絶えていたのだ。
懐かしい人が『飛鳥II』に乗る。 突然行ってびっくりさせてやれ!
船内で会ったとき、今井さんは一瞬ポカン!として「ああァ!」とほんとうにびっくりしていた。
そして『サラメシ』の内田さんを見ましたって。
話しているうちに、次から次に思い出が蘇って来て、そこに夫がいたらもっと良かったのにと、胸がキュンとした。
あのころの楽しかった時代が終わり、充実していた作家生活の時代も終わり、そして平成も終わる。だけど私はいつまでも寂しがっていないで、私のために残された時間はまだまだ終わりにはしないぞと、決心していた。

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