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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

凄い!素敵!

2019.6.2 Sun

書棚からたまたま手に取っただけの、内田康夫著100冊目の『華の下にて』を読んでいる。
何だか私は自分の夫の自慢ばかりしているようで(している!)、気が引けるのだけど(だったら書くな!)、やはり夫は私の誇りだ、自慢だと改めて思った。
寝る前のベッドの中が私の読書タイムで、先日の夜は眠りに落ちる寸前に「んん!?」と目が覚めてしまった。
夫はなんでこんな美しい表現ができるの? と、朝になって忘れないように、ページの隅を折っておいた。
「槍が降っても、死体が降っても身じろぎひとつしそうにない母親が」、光彦がつれてきた奈緒を見て驚く様子を、「手の舞い足の踏むところを知らないようなうろたえぶり……」と表現している。私の目の前に、日舞や歌舞伎の美しい舞台が浮かんだ。
そして昨夜は、美の探求を目的とする華道界を先導する気位の高い家元夫人が、卑しい憶測をすることに、光彦が『地べたで氷雨に叩かれている花びらを見るような、うそ寒い気分』になるのだ。
カワバタだのミシマだったらこんな表現をするのだろうけど(と……、違うかな?)、こんな美しい表現をしている推理小説を、私は読んだことがない(いま読んでるじゃん!)。
やはり私が常日頃「内田作品は学術教養純文学推理小説である」と言っているけど、やっぱり合っているよなと思った。
『平城山を越えた女』にしても、この『華の下にて』も冒頭は和歌から入っているし、短歌入門……にならないか。ん? 和歌と短歌、どう違う?
『夫婦短歌』を出している手前、調べてみた。
和歌は中国の漢詩に対する日本固有の詩歌だそうで、私、意味がわからない。『古今和歌集』があるように、平安時代は『和歌』といわれていたよな。
短歌は原則5・7・5・7・7で表す詩だそうです。7世紀以降に和歌から短歌になったらしいけど何で? 和歌だって5・7・5・7・7でしょ?
何がどう違うのだろう。7世紀以前と以降と、何がどう変わったの?
国文学出身の人、教えて下さい。

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