内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
海賊
2020.9.27 Sun
コロナウイルスのせいで、世界中の文化芸術活動がストップしてしまった。
美術館や博物館、コンサート・演劇・バレエ, etc.……。
演劇やバレエなど、見る側も欲求不満気味なのだから、演じる方たちは練習もままならず、早く舞台に立ちたいだろうなと思っていた。
私はバレエが好きで、ワールドクルーズの寄港地でもバレエを楽しんでいた。サンクトペテルブルグのマリインスキー劇場、パリのオペラ座、ニューヨークのメトロポリタンバレエシアターと、夫も私の好みに合わせてくれていたっけ。
日本では断然Kバレエで、私は上野文化会館や渋谷のオーチャードに何回通ったことだろう。
30年ほど昔NHK TVで、ローザンヌ国際バレエコンクールの模様を偶然見た。15才の日本人の少年が踊り始めた。ジャンプをすると空中で停止したかのような滞空時間の長さ。クルクルとターンをしても、ピタッと静止している。
このコンクールでは演技中に拍手をしてはいけないことになっているそうだ。それなのに途中で思わず拍手が起きていた。それほどの演技だった。その少年はゴールドメダルに輝いた熊川哲也さんだった。
彼はその後、イギリスのロイヤルバレエ団に入団して、瞬く間にプリンシパルの地位に上りつめた。
1998年、私たち夫婦が初めてのワールドクルーズに出かけた年に熊川さんはロイヤルバレエ団を退団して翌年、『K-バレエカンパニー』と、日本で初めての会社組織のバレエ団を創立した。
その公演の時、私は友人に楽屋に連れて行かれて熊川さんを紹介された。ご挨拶したときの熊川さんの、はにかんだような、いたずらっ子のような笑顔、そして意志の強い輝く目で見られて私はドキドキ。その後オーチャードや上野の文化会館に何度足を運んだことだろう。
日本での何回目かの公演『海賊』には、夫を誘って見に行った。そして夫も熊川さんにご挨拶をした。
YouTubeでごらんになったらわかるように、アリ役の熊川さんの舞台衣装は、上半身はほぼ裸。華奢でしなやかなからだを筋肉が包んでいた。
それはマッチョといわれるものでなく、ほんとうにしなやかな筋肉なのだ。
帰り道夫はしみじみと言った。
「あの筋肉には、ぼくは少し負けたかもなァ!」私が思わず「プッ!」と吹き出すと、夫はニヤリと笑った。
そして「あの青年は凄い。あの若さで自分の信念・哲学を持っている。大したヤツだ!」と言った。熊川さんはまだ20代後半だったのだ。
今年5月にK-バレエは『海賊』を公演する予定だった。もちろん私はチケットを申し込んでいた。しかしコロナのせいで公演自粛。ダンサーたちはいつ収束するか不明の中で練習もできず、さぞかし……と 心を痛めていたら、10月にコロナ対策をしながら公開するそうだ。
私? 行かないわけないじゃない。残念ながら夫はいないけれど、多分ついてくるはず。そして若手ダンサーに「筋肉、かなり差がついちゃったなァ!」と……、そんなジョークをまた聞きたい。