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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

内田康夫文学ツアー

2020.11.9 Mon

内田康夫財団・浅見光彦友の会のツアーで、夫の眠る冨士霊園のお墓参りと作品に登場する『沼津』のあちこちを回ってきた。
コロナの時期であり少々感染が心配であったが、バス会社の万全の予防対策と参加者の良識で、全員無事で帰ってきた。
毎度のことだけど「浅見光彦」ファンの方たちのお行儀のよさは、いつも関係者たちにお褒めの言葉をいただいている。
曇りのち雨で残念ながら富士山は見えなかったけれど、墨字の夫の墓碑にはまだ慣れない私だったし(……そう書きながら目の奥が痛くなってきた)、参加の皆さんの胸も熱くなっていたようだ。
しかし感覚障害のあと脳梗塞になり夫が逝って2年半。皆さんと最後にお会いしてからは約6年。それなのにまだ夫のことを忘れないでいて下さることに、私は大大大感激。夫は意識がはっきりとしている間中「早く復帰しないと、会員さんに忘れられてしまう」と、涙ぐんだり胸を痛めていたものだ。
冨士霊園に近づいたときスタッフに、「きっとGさん(爺さんではない。まあ初めて会員さんになったころより少しは……だけど、あくまで名前の頭文字のGなのだ)来てると思うよ」と言っていたら、やっぱり爺さん……ではないGさんがひょっこり顔を出してくれていた。
わりと近くに住んでいるとはいえ、こんな日に顔を出してくれるなんて、なんといい人だとまた感激。今までも時々お参りをして下さっているらしい。
手をあわせていると雨がパラパラ。きっと夫の「うれし涙雨」に違いないと思った。
その後沼津に行き昼食後『沼津港深海水族館』で、『シーラカンス殺人事件』のシーラカンスを見たり、『漂泊の楽人』・『中央構造帯』・『本因坊殺人事件』, etc.の死体遺棄現場など、作品を思い出し楽しみながら帰途についた。
私はと言えば、作品もさることながら、夫のお腹を空かせてばかりの少年時代や、本能寺につれて行かれた時の事などを思い出して、そしてたくさんの作品を残して亡くなった、時の流れをしみじみと感じていた。
東名高速の途中に雨は本降りになったが、東京につくころには上がって、やっぱり夫が会員さんを守ってくれた……なんて、勝手に思っていた。
車中『後鳥羽伝説殺人事件』の朗読で「霧雨がコートに粉をまぶしたようにまとわりついて……」だったかな(?)と聞いて、やはり『内田康夫』の情景描写力は凄いと感動いっぱいのツアーだった。
家に帰ったら(勿論事務局経由の)手紙が何通か届いていた。
ツアーには参加できなかったけれど、お墓参りをして涙がでました……と、私、また感動の涙だった。

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