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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

編集者

2021.1.19 Tue

私の中学生のころの夢は、たぶん雑誌編集者だった。小説家……というのもちょっぴりあったかな? 中学生の時に書いた小説が出てきた。読み返してみると小説なんて代物ではないし友だちの挿絵まであった。
あのころの中学生の、なんと幼いこと。そのストーリーに「ブハハ!」と吹き出しまった。
なりたかった編集者は少女雑誌のお便りコーナーの担当……だなんて、夢としてはかなり具体的だった。
具体的だった夢も、いつの間にか歌謡曲の作詞家やコピーライターに変わっていった。
その夢をごくささやかながら実現させたたあと、いまは又ささやかにブログという名のエッセイや小説を書いている。
私の何冊めかの小説『夜想曲ーー別れ』が3月に発売されることになり、この年末年始は原稿の著者校正にフーフー言い、肩をコリコリさせていた。
私、編集者にならなくて(なれない?)よかった。
編集者に原稿を送るとき、何度も初めから読み直したはずなのに、まあボロが出るわ出るわ……。時系列はもちろん途中から同じ話が繰り返されていたり、年齢が合わなくなったり、時代背景が合わなくなったりと、いっぱいいっぱいチェックが入っていた。校閲者や編集者は、博学で頭のいい人でないと務まらない仕事だと分かった。
聞くところによると某社と某社と某社の競争率は、願書のときから数えると1000倍だとか。私だったら願書の段階で落ちていると、これは自信を持って言える。
私がバカなことを言って笑わせている編集者は、1000人のうちの1人なのだと思ったら、もうバカなことを言ってはいけないなと反省。でも私の反省は3歩も歩けば、もう忘れてしまうから……。
赤いボールペンで間違いを直して、初校(一回目の校正原稿)をお正月明けに返却した。たぶん今月中旬には再校(二度目の校正)が上がってくるだろう。
これが推理小説の校正だったら、大変な作業になる。一カ所間違いをなおしたら、他の繋がりが合わなくなって書き直し、書き直したら他とまた辻褄があわなくなったりで、とうとう夫は、原稿用紙で70枚ほどを一晩で書き足したこともあったようだ(70枚だなんて、短編一作分だ。凄い!)。
担当編集者が軽井沢に泊まり込みでやってきて、二晩ほとんど徹夜作業になってしまったこともあったっけ。そういうことからすると、小説のなかで推理小説が一番難しいかもしれない。
夫のことはさておき、私の作品のラフの表紙絵も出来てきて、久しぶりの私の夢の実現。うれしいな!
因みに『夜想曲』は康夫(やすお)を懸けている。『ヤスオー曲』ってわけだ。
『山野草』は『山ヤスオー』だし、『野想忌』は『ヤスオー忌』で、言葉遊びは楽しい。

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