内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
バカか!
2024.5.13 Mon
山口県と福岡県をつなぐ関門橋が出来て、もう50年が過ぎたそうだ。
ウン十年前の私が高校生のころは、下関と門司をつなぐのは勿論!関門トンネルだった。関門橋もだけれど、しまなみ海道だの、本州と九州・四国とを橋で結ぶなどと私は想像もしてなかった。
でも……、そう言えば、下関と門司とを結ぶ橋が出来たというニュースを聞いた記憶を、うすうす思い出した。
いまは修学旅行で海外に行く時代だけど、私が高校生のころは海外旅行はおろか、観光旅行など夢のまた夢の時代だった。
私は小さいころから父の仕事の都合で、何度か転居している。台北や広東などは幼少時だったけれど、その風景はかすかに記憶に残っている(親たちの話やその頃の写真で知っていると、勘違いしているだけなのかもしれない……と言って、年齢を誤魔化す)。
日本が戦争に勝っていたら、私たち家族はバリ島に移る予定だったと聞く(父はバリ島で終戦を迎えた)。
そして終戦後日本に帰ってきて三重県に住み埼玉県に移り、高校時代は広島県で過ごし、東京の短大を卒て現在は長野県(軽井沢)だ。
その移動するときの列車の窓から移りゆく風景を見たりした経験で、地方地方の風景や特殊性は感じていた方だと思う。そうやって転校を繰り返しているうちに、その場に溶け込む術を知らずに身につけていたかもしれない。
余談だけど、あのころは列車の窓から見る家々の趣きが、地方ごとに違っていたが、いまは○○ハウスとか○○ホームだとかで、どこに行っても同じような風景になってしまって、ちょっと味気ない。
父方の伯母が鹿児島にいて、高校生のとき、妹と二人アゴアシ付きで「夏休みに遊びにおいで」と誘われた。
『特急なんたら』と、鳥の名前のついた特急で鹿児島に向かった。広島駅を出て下関から門司に向かうトンネルに入った途端、ゴーッと音がして窓の外は真っ暗闇になり、窓には列車内の様子が映っているだけだった。
鹿児島では上げ膳据え膳の楽しい時間を過ごして、夏休みは終わった。
二学期が始まって、勿論!友人たちに鹿児島旅行の自慢話をした(夏休みのあいだ、友人たちは大学入試のために勉学に勤しんでいたはずだ)。
「ね、ね、関門トンネルって、どうなってるの?」と聞かれた。
「あのね、トンネルに入ると列車は突然、急坂を滑るように下るの。しばらくすると、窓の外で魚が泳いでいるのが見えたの。私のそばの窓に、タコが張り付いてきてビックリしちゃった」。
私って、むかしからホラ吹きだったらしい。そのときの友人たちのビックリした顔をまだ覚えている。
その友人たちは国立大学や私立の一流大学に進学しているけど、ホラ吹きの私は、しがない私立の短大だ。
思えば、私のそんなウソ話を信じるその頃の高校生って、純粋で可愛い!
いや! しかし……、待てよ! 友人たちのビックリした顔は「よくもそんなホラが吹けるものだ」と、あきれかえった顔だったのかな? それと知らずに騙したつもりになって喜んでいた私のほうが可愛い?……と言うより、バカか!