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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

共依存症

2024.6.13 Thu

友人と駄弁っていたとき、「お宅の夫婦は共依存症だったんじゃないの?」と笑われた。仲が良すぎたと言うのだ。
『共依存症』という言葉は以前からあったらしいのだが、私はその時初めて知った。
私たち夫婦が共依存症?と、それでその言葉の意味を調べてみた。

○自分と特定の人物が、過剰に依存しあっている状態だって。
※う~ん! 過剰ではないと思うけど、多少は依存……って言うより、私たちはお互いに必要としていたことは確かだ。でも、夫婦は普通お互いを必要としたから結婚したんじゃないのかな? 職業柄、夫はサラリーマンの夫婦よりは私を必要として、多分私も夫を支えていたとは思うけど、それは依存とは違うと思う。
でも……依存かなァ!違うと思うけどなァ!

○「私がいないとこの人はダメなんだ」と言う相手から依存されることで、無意識のうちに自己の存在価値を見いだすんだって。
※う~ん! これはあるかもしれない。依存ではないと思うけれど、夫は私の存在を確かに必要としていたし、私もそれに応えていたと(私が勝手に)思う。
作家になりたてのころは、家内工業みたいに、私は夫の作品の取材協力から校正まで手伝っていたから夫は私を必要としていたし、私も必要とされていると自覚していた。
作品が売れるようになりそれらは編集者の手に渡ったけれど、我が家の生活全般のあれこれ、ファンクラブのあれこれetc,etc.を私が担っていたから、彼は安心して執筆と囲碁とテレビのスポーツ番組鑑賞三昧の日々を送れたのだと(私が勝手に)思っている。
夫が掃除機をかけたり生活費の計算をしてる姿って想像できない。暗黙のうちに私がすべてを担っていたのは、無意識のうちに私は自己の存在価値を感じていたのかなァ?

○そして、自分が望むような行動を相手にとらせるようにコントロールして、自分自身の心の均等を得ようとするんだって。
※う~ん! あるかなァ。でも私たちは多分(多分!だけど)お互いに精神的に自立をしていたと思う(少なくとも私は……)。しかし無意識のうちに、お互いを思いやるような行動はとっていたかもしれない。
そっかァ! あの雪の日、玄関前の雪かきが終わる頃に、仕事をしていると思っていた夫が玄関から顔を出して「終わった?」「うん、終わった」「じゃボク、ちょっと碁会所に行って来る」……って、そうか! 私は知らずにコントロールされていたのかァ。

※男は相手に必要とされることで、自分の存在意識を感じているのだそうだ。
そして女性に多いのが共存症だって。意味がよく分からない。
「この子は私がいないとダメなんだ」と、気の弱い息子を守っている(つもり)うちに、息子は自分が母親にとって必要とされているのだと思うことが『共依存症』?……ってことは、気の強い母親は気の弱い息子を守っているつもりだけれど、結果、息子はそんな母親が自分を必要としているのだと思うところに存在意識が生まれるってわけ?
でも息子は、自分が母親に守られているうちに、自分の立ち位置を固持するために責任を他人になすりつけたり、自分に都合のいいようなウソをついたりするようになるのかも。
気の強い母親と気の弱い息子が『共依存症』の典型かァ。

あれっ? もしかしたら形は違うけれど、私とキャリーの関係もそうだった。
私は「キャリーは私がいないとダメなのだ」と溺愛し、キャリーはそんな私を喜ばそうと甘える。そして私はますますキャリーは私がいないとダメなんだと錯覚し、キャリーは私の期待に応えてますます甘えて、私はそこに自分の存在価値を見いだしていた……ってか?
『共依存症』って、そう言うことなのかな?
でもキャリーは可愛かったなァ! ホント、私がいないとダメだったんだもの。
他人はキャリーをただのバカ犬だと思っているらしかったけど、それに気づいてない私とキャリーの関係は、立派な『共依存症』だったのかな?と、話は逸れたけど、自分にも訳が分かったような分からないような話でチャンチャン!