内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
カタカナ会話
2024.7.13 Sat
私は東京でよく道を聞かれたり、知らない人に話かけられたりする。きっと心の優しさが滲み出ていて、この人は他人を騙す人ではない……と、人畜無害で、他人に信頼されるオーラがあるのに違いないと自画自賛。
先日は買い物の途中、スマホ片手の外国青年に話しかけられた。
向こうから歩いてくる青年と目が合うと、青年はニコッと笑いかけてきた。だから私も微笑み返しをした。すると彼は「ハイ!」と近づいて来たから、私も咄嗟に「ハイ!」と返した。そういうところは、私がインターナショナルで社交的なのだと自画自賛(以前夫には、ただの恥知らずなんじゃない?と笑われたことがあったっけ)。
「ワタシハオーストラリアジンデス。アナタハニホンジンデスカ?」ときた。
そして私はにっこりと笑って答えた。「yes!」
「ワタシノイエハ、メルボルンデス。メルボルン、シッテマスカ?」と言って、スマホでオーストラリアの地図を見せてくれた。もちろん知っているから、また「yes!」と答えた。
スマホの地図だからもちろん小さい。自慢じゃないけど私は老眼だ。そして買い物の途中だから眼鏡なんて持って来てない。でも私はインターナショナルで社交的だから、彼に恥をかかせてはいけないとスマホをのぞき込んだ。
そのとき突然、ワールドクルーズのときシドニーとパースに寄航したことを思い出した。そして同時にその頃オーストラリアの北西あたりの海に、どこの国だったかの飛行機が墜落したことがあったっけと思い出して、そのことを彼に話そうと、頭の中で必死で英単語を探してパニックになっていた。
私がパニックに陥っている間にも、青年はカタカナ日本語で私に話かけてくる。私の頭の中は混乱の極地で、思わず「ソーリー! アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ」とカタカナ英語で反応していた。
家に帰ってから、あのときなぜ彼に「メルボルンでオリンピックがあった」と言わなかったのだろう。別れ際になぜ「enjoy!」だの「Have a nice day!」と、カッコよく声をかけなかったのだろうと自己嫌悪(何がインターナショナルだ。何が社交的だ!)。
常日頃、私は「日本人が外国に行くときは英語を勉強して行くのに、なぜ日本に来る外国人は日本語を勉強して来ないのか。日本に来るのなら日本語で話せ!」と毒づいていた。
これは私が英語を全くしゃべれない劣等感が言わせているのだが、今回は日本語で話かけられたのだ。それなのに焦ってしまった私は一所懸命に英単語を探していた。バカか!(バカだけど)と笑ってしまう。
英語をしゃべれないという劣等感は、そうとう根深いなと思った。
以前、中国人に英語で神宮の銀杏並木を聞かれたときは、カタカナ英語の単語を並べてちゃんと通じたのに、今回の私はなぜパニックになったのだろう。あのオーストラリアの青年、日本に対していい思い出を残せたかな? がっかりしてないかな?と心配だ。
でも話かけて来そうな外国人が近づいてくると逃げる日本人がいるけど、それよりはまだマシか……と、自分を慰めていた。
しかし、何がインターナショナルだ、何が社交的かと、まだ自分を罵って落ち込んでいる。前世はイギリスの男爵令嬢だったと吹いているくせに、母国語を忘れてしまったのか……と。