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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

映画の記憶

2024.10.13 Sun

生まれて初めて見た映画の記憶は……。
タイトルは覚えてないけれど、桃太郎とテントウ虫の出てくるアニメーションだった。桃太郎とテントウ虫の部分的な映像で、それが一本の映画なのか二本立てだったのかの記憶はない。
台北の映画館だったから、5歳くらいだったはずだ。幼稚園は閉鎖になったと聞くし、まもなく台北郊外に疎開をしたから、終戦も間近だったのだろう(そのころ台湾は日本の統治下にあった)。
戦争中の映画だったから『桃太郎』は日の丸のはち巻きをして、飛行機で勇ましく敵と戦っていた。そしてウサギが(桃太郎にウサギが出てくるわけないけど、目の底に残っている映像ではウサギだった)たぶん耳で手旗信号(耳旗信号?)をしていたような気がする。
『テントウ虫』の方は蜘蛛が巣を張って、テントウ虫が掛かるの待っているのだ。なぜだかそのとき流れていた歌を、私はいまでも覚えている。
♪てんてんテントウ虫おテントさまの子、お花に止まってこんにちは、葉っぱに止まってこんにちは、おテントさまがいっぱいだ♪……と、野球帽のような帽子をかぶったテントウ虫がいて、次のシーンでは巣を張ったギョロ目の蜘蛛がいて ♪ゆらゆらゆらと銀のハンモック、1番目にはだれ乗せよう♪……と、メロディーだって覚えている(因みになぜか私は、幼稚園の園歌もかすかに覚えている)。
映画の歌を歌いながら妹に映像の説明をしたら、彼女に「凄い感受性と記憶力だ」と褒められた。だから私は「子どもの頃に記憶力を使い果たしてしまったから、いまは朝ごはんを食べたかどうかも覚えてない」と、大笑いをした。
小学生のとき見た映画の記憶は、学校から並んで見に行った『ヨーク軍曹』だった。初めて見る洋画で、主演はゲーリー クーパーだった。
クーパーは悪い子だったのだが、雨の中で乗っていた馬の蹄鉄に雷が落ちて馬から落ち、いい子になって軍曹(たぶん)にまで上りつめた……ような気がする。初めて見る外国人俳優のゲーリー クーパーは凄くハンサムに見えた。
中学生のとき見た映画の記憶は、黒澤明監督の『羅生門』。この映画で私は森雅之の目の演技にびっくりした。子ども心に何だか知らない妖しい色気のような凄さを感じたものだ。ストーリーはあまり理解してなかったと思う。
あとで知ったことだけど、森雅之のお父さんは有島武郎で、叔父さんは里見弴だと知ってびっくり。
高校生のときは母と見に行った(父兄同伴でないと許可されなかった。父兄って、なんで母姉じゃないのか?)のは『エデンの東』で、ジェームス ディーンが私のすぐ上の兄に似ているからと、母は映画が終わってから二度見していたっけ。映画館は入れ替えなしだったから。
彼のそのあとの『理由なき反抗』で私は胸キュンだったが、三作目の『ジャイアンツ』で熱が冷めて、乙女心は移ろいやすいものだと、いまは可笑しい。
短大に入ってからは、吉祥寺の名画座でまァ見た見た。生涯で見た映画の大半は、この頃に見たものかもしれない。そのことは以前ブログで書いたと思う。
しかし映画の記憶はしっかり残っているのに、方程式や英単語の記憶はない。
青春の時代時代で胸キュンの相手は替わっていた。ジェラール・フィリップ、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、オマー・シャリフ等々、思えば色っぽい、明るい、哀愁、恥じらい、反抗等々と、いろいろな笑顔が素敵な人たちだった。そうだ、『ティファニー……』のジョージ ペパードの笑顔にも胸キュンだった。
あのころ胸キュンだった俳優の晩年の写真に、「エーッ!」だの「こんなはずじゃなかった」と、自分を棚に上げてがっかりしたりして。
しかし、いまはもう、だめだなァ! 誰にもときめかなくなっちゃった……って、このトシで胸キュンなんて気持ち悪いかも。