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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

ぼく探

2022.6.15 Wed

このところ私は、内田作品の三回目の読み返しをしているのだけど、なぜかいつも『生命の終わり』 が引っかかっている。そしてこれは以前からだけど、『ぼく探』を読んで以来、誰かが亡くなると「あ、電車から降りたんだ」と思うようになってしまった。
『ぼく探』……。
『ぼくが探偵だった夏』を略して『ぼく探』というのだそうだが、小学校五年生の光彦少年のひと夏の物語だ。
この光彦少年が何とも可愛い。育ちのいい子供ってこんなだなと、育ちの悪い私の憧れが全開!
この頃の浅見家は、夏を軽井沢の別荘で過ごすのが常だった。軽井沢には貸し自転車屋の少年や、喫茶店の孫の衣理という友達がいる。あるとき光彦少年が衣理のおじいさんに「人が死ぬって、どういうことなのか。ときどき考えることがあります」と言ったときの、おじいさんの答えが、私の脳裏から離れなくなってしまったのだった。
おじいさんは『死』とは「行き先も分からない切符を持った大勢の人が、笑ったり怒ったりしながら電車に乗っていて、電車が駅に着いたらぼくが降りる。ほかの皆は一瞬振り返るけど、電車はまた笑ったり怒ったりしながらの人を乗せて走り去って行く。その電車にはもうぼくはいないということだ」と言う。
その話を聞いて家に帰った光彦少年は、「母さん、電車から降りないでね」と、雪江さん(このときはまだ未亡人ではない)の後ろから抱きつくのだ。
私はその電車を、西部劇の荒野のようなところを走るオンボロな電車を想像してしまった。吹きっさらしで砂が舞う荒野の、屋根もない駅に降りた人を1人残して電車は走り去る。降りた人は心許なげにポツンと立っている……という風景。
それで私は、誰かの訃報を聞くと「あ、電車から降りたんだ」と思うようになっていた。そして荒野の駅で不安そうな顔をして、ポツンと夫が私を待っている……だなんて想像は悲し過ぎる。胸が痛くなる。目が汗をかいてしまう。
でも夫はイギリスで待っているはずだからと、自分を慰める(空想力が豊かだと、泣いたり笑ったり忙しい)。
そんな想像は別にして、私は『ぼく探』が、夏休みの子供向けのドラマにならないかなァと夢を見ている。
ドラマ化されたとき、光彦少年はどんな子役がいいか……と想像するだけでも楽しい。

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