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内田康夫 夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

時間の流れ

2019.3.19 Tue

アッという間の3年半と、アッという間の1年が過ぎた。
介護の真っ直中にいるときは、あれほど長く感じていた時間、そして終わりの見えないこれからの日々が、何と遠くに感じたことか。
それなのに過ぎ去ってみると、1日は短く、あの介護や記念館で献花していただいた日のことが、はるか遠くの思い出になってしまって、まったく現実感がない。
夫の笑顔を思い出すと未だに鼻の奥がツンとするし胸がキュンとするのに、介護を含めた彼との50年余の暮らしが、空気を掴んでいるように頼りないのだ。
長い長い夢を見ていた?
そのくせ絶えず夫の気配をそばに感じ、日常が夫に守られているような気さえしている。
夫の作品を読み直して、たまたま手に取って読んだ12冊の中に、命日である3月13日という日付が5回も出てきた。
「それって、自分の存在を忘れさせないように、先生がその作品を手にとらせていたんですよ」と言われると、そうかもなァなんて思ってしまう。
『死』=『無』と言っていた私がだ。
先日、本当にたまたまテレビのスイッチを入れたら、『ゴースト ニューヨークの幻』が目に飛び込んできた。私の好きな映画だ。思わず立ったまま最後まで見てしまった。
そしてヒロインのモリーが亡き恋人・サムのことを思って「恋しい!」と言う場面で、私は何だか恥ずかしいけれど「私も!」と、目が大量の汗をかいていた。
無性に夫に会いたかった。
モリーがサムの気配に、「あなたの言うことは私には聞こえないけど、私の声は聞こえているのね」というシーンでは、ついこの間私が遺影に向かって言った台詞だと、また汗がぽろり。
死んでいる(映画では殺された)サムが、親友だったはずの悪人のカールからモリーを守り通してからサムは昇天する。
きっと夫が、私を守っていることを知らせるためにテレビを点けさせたんだと、それはただの偶然にすぎないのだけど、『死』=『無』と言ってたはずの私は勝手に解釈していた。
夫が亡くなったとき、「キャリーが死んだ時、立ち直るのに2年かかったから、夫の場合は半年かな?」と、それは笑いをとる冗談だけどそう言っていた。
やっぱり半年は無理だった。1年が過ぎてこんなだから、あと2年? 3年……?
まァいいや! 自然体で行こう。
あの世で夫はまだ新人で友だちもなく、さびしくて時々私の夢に出てくるけれど、そのうち「知り合いもできたし、もういいよね」と姿を消すかもしれない。その時が私が完全に立ち直った時だろうな。
それはそれで、私があの世に行ったとき「なんで会いにこなかったのよォ!」と怒るから、覚悟をしてらっしゃい!

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