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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

言葉

2018.1.20 Sat

このところ……って、以前からだけど、私が間違っているのかもしれないけれど、日本語がおかしくなってきているのではないかと気になって仕方がない。
無知な私からすると、それこそ以前は一部の敬語や謙譲語を使い慣れてない人が使っていただけの変な日本語が、今では主流になったらしく、言葉を使うアナウンサーや小説の中の会話にも使われ始めた。
第一は『される』という言葉。
~をするということの敬語か丁寧語のつもりなのか、新年の一般参賀のニュースの時でも「天皇陛下がご挨拶をされました」と言っていた。間違いではないのかもしれないけれど、エッ?陛下が誰かに挨拶をされちゃったの?と思ってしまった。
私は一般人だし大学も文学部出身ではないので、正式な敬語や丁寧語のことは分からないけれど、この場合は「ご挨拶をなさいました」ではないの?
喩えは悪いけど、「最高位の行司が、10代の若い行司に痴漢をされました」って、どっちがどっちに痴漢をしたのかわからない。
以前、一流デパートの一流ブランドショップで靴を探していたとき、メイクや制服をビシッときめたきれいな店員さんに「そこに座られてお待ち下さい」と言われたときは、エッ!エッ!エッ!と、どうしたらいいのか分からなかった。
アイドルと称ばれているタレントさんが食べ物をレポートする番組で、食べ物を説明したあと、お客さんに「どうぞ食べられて下さい」って、エッ!の五乗。
そしてこれは事の次第を述べる立場の人なのだけど、『~という事』や『~という訳』を使い過ぎる。
某国の総理大臣の答弁でも、やたらと「~という事でありますから、~という訳であります」と、何だか言い訳に終始しているようだ(某国の国会での総理大臣の答弁を注意していると分かります。一回の答弁で何回『訳』と『事』を言うか、今度調べてみようっと)。
生意気なことばかり書いて、私もどこかで笑われているに違いない。
「偉そうなことを言って、自分の足もとを見られて下さい」って?

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