内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
年賀状
2019.1.10 Thu
今年の私は喪中ということもあって、年賀状は極端に少なかった。
少ない中に、「おめでとう! 今年は大いに遊ぼう」というのがあって、それはうれしかった。
少ない年賀状の中の1人から、慌てたようなお詫びのメールが届いた。
「テレビで『新・浅見光彦シリーズ』を見ていて嫌な予感がして調べたら、年賀状を出していました。お許しください」ということだった。
許すもなにも、確かかどうかは分からないけれど、喪中の人は年賀状は出さないけれど、喪中の人に出すのは別に礼儀を欠くということではないそうだと、その人にはメールを返した。ありがとうございますを添えて。
それで、もちろん親しい人にだけど、私は喪中の人に年賀状を出したことはある。
その反応はやはり「うれしかった」だった。
でも、儀礼に従って私宛の年賀状が少ないのはあたりまえだけど、亡くなっている夫宛に来たのにはびっくり。
それほど親しくない人で夫が亡くなったことを知らなかったとか、DMで勝手に登録してある名前を、機械的に印刷して出しただけというのは納得だけど、同じ業界の人(ここだけの話、作家)の、夫宛の賀状には驚いた。
よほど「夫は去年の3月13日に亡くなっております」と手紙を出そうかと思ったが、それは大人げないし、もしかしてお年玉に当たっているかもしれない(冗談です)のでやめた。
よく考えたら、私が「喪中につき……」というハガキを出さなかったから? 私は今まで世間の『儀礼』というものに逆らって生きてきたからかなァ?
『儀礼』って、人間社会の潤滑油のようなものだけど、油の注し具合って時代によって、住んでいる社会で違ってくるからなァ……と、自分にいい訳をしている。