内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
セミ
2016.8.16 Tue
外に出てみると風が爽やかだったし、気温もそれほど高くなかったので、夫を車椅子で外に連れ出した。
東京は緑が多い。それでセミの声が降ってくるようだ。ミンミンセミ、あぶらセミ、つくつくほうしとヒグラシは同じなのだろうか。あとジージーと鳴くセミもいた。
夫が「セミ時雨とはよく言ったものだね」と目を細めている。
やはり気持ちがいいらしい。「子どもの頃、セミにオシッコをかけられたことがあったっけ」。その経験は私にもある。
敷石の上に蝉の死骸が落ちていた。近づくと、私たちの気配に亡骸にとりついていたらしい虫が飛び立った。もしかしたらセミの死骸にタマゴを生み付けていたのか、食べようとしていたのか……。そばで蟻んこが獲物を探してうろついている。
こんな都会にも自然界の摂理が……と、感動した。
それにしてもセミが哀れだ。地下での雌伏が3年から17年。そしてやっと地上にでて、我が世の春(夏?)を謳歌しても、その生命が一ヶ月ほどだなんて哀し過ぎる。棒の切れ端をみつけて、死骸が自転車などに踏みつぶされないように、木の根っこ寄せておいた。
木の幹にセミの抜け殻があった。『空蝉』かァ!
人生だって夢を目指して努力して、やっと世間に認められたのに突然!……と、そう考えると哀しく切ない。それでも認められればいいけれど、夢半ばにして『諦め』のまま……という人生がほとんどかもしれない。
それにしても一ヶ月という期間も知らずに元気な声だ……。いや!知らないから、こんなに元気に鳴けるのだろう。
言っても繰り言だけど、脳梗塞が、せめて、せめて『孤道』が終わるまで待ていてほしかった……と、やはり繰り言なのよね。
うっとりと木陰の下の風を楽しんでいる夫と歌をうたったり、『孤道』のこれからの構想を聞き出しながら車椅子を押して、私はすっかり日焼けしてしまった。