内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
揚げ足とり
2019.12.3 Tue
ひところ「ら抜きことば」を憂えていたときがあった。
食べることができるという意味の「食べられる」を「食べれる」と言うように、特に若者たちが『ら』を省いてしゃべることを憂えたのだ。
でも時は流れて、「ら抜き」が普通になり、逆に丁寧にしゃべろうとするときには「ら行」が入ることが増えたような気がする。
私は文学者ではないし、まして言語学者でもない。だから私の無知かもしれないし、揚げ足取りになるのかもしれない。けれど「ら抜きことば」どころか「ら行入りことば」が大いに増えたと感じる。
例えば、やんごとない方が車の中から沿道の人々に手をお振りになった時、キャスターが「今、やんごとない方が沿道の人々に手を振られています」と言っていた。
エッ? これだと手をふったのは沿道の人? もちろん沿道の人たちも手を振っていたけれど、カメラは車の窓を開けて手を振る、やんごとない方を追って撮っていたのだ。
そしてやんごとない方が建物にお入りになった時「いま建物に入られました」って、入られた……って、意味が違うと思うのだけど。ドロボーに入られたとか、注意を無視して勝手に入られたような時に使うんじゃない?知らんけど(知らんかったら言うな!)。
車にお乗りになった時は「車に乗られました」。その時私は車に乗られては、さぞかし重かっただろうなと思ったものだ。
傑作は「形にならなくないでしょう」とキャスターが言った時も?「これでは形にはならないでしょう」と言いたかったらしい。
揚げ足取りついでに、このキャスターは「このことをご存じない方が多い」と言うところを「このことを知られてない人が多い」と……。
他にも多々ある。
「○○さんは※※さんにいたずらをされている」。これはどっちがどっちにいたずらしているのか判らない。
事務局のスタッフが調べたところによると、『~した』の丁寧語は『~された』 でも『~なさった』でも正解だとか。でも受け身と紛らわしいので使うときは注意が必要だとのこと。
しかし先述の「ら行入り言葉』を、アナウンサーやキャスターが普通に使っていて、学者の先生や上司からクレームがつかないということは、やはり私の揚げ足取りかもしれない。
言葉は時代と共に変化していることだし。
その証拠が、平安時代はおろか、江戸時代の人たちにも、いま私たちがしゃべっている言葉は、通じないだろうな。