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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

オチ

2020.1.23 Thu

親が落語好きだったせいで、私は子どもの頃から落語が好きだった。
それも江戸落語の古典物だ。子どものころまだテレビ放送のない時代で、娯楽はラジオだけだった。
すぐ上の兄やすぐ下の妹は、学校が終わるとカバンを放り出して、夕飯まで表で遊んでいた(たぶん)。
私は学校が終わるとほとんど家にこもって、本を読んだり空想(妄想も含む)ばかりして、自分の世界にこもる孤高と言うか根暗と言うかいつも1人でいる子だった。
夕飯が終わると家族でラジオの前に正座をして落語を聞いていた。
ストーリーは知っていても、オチを待っていて「アハハ、アハハ」。
落語のないときはクラシック音楽や時にはやタンゴを聞かされた。
タンゴ? そう!長兄は中学生のころからタンゴが好きで、アルゼンチンタンゴやコンチネンタルタンゴを聴かされ、流行歌などは一切聞かせてもらえない。美空ひばりの歌などを歌おうものなら「やめろ!」と、目を三角にして叱られたものだ。
その落語(前置きが長い!)。
NHKのEテレで日曜の14時から『日本の話芸』という番組を放送している。番組のタイトルバックは落語の『目黒のサンマ』『まんじゅう怖い』。私はテレビの前に座って(今は椅子)しっかりと見て、登場人物の顔や動きを思い描いている。
ふと思った。落語は落語家の1人語りだ。聞いていると話の情景が思い浮かんでくる。情景は百人が聞いたら百の情景があるだろう。
熊さんや八ツァン、ご隠居さんだって、百タイプの人物になる。
小説だってそうだ。百人の人が『浅見光彦』の小説を読んだら、百人の『浅見光彦』がいるはずだ。
これが映画やテレビドラマだったら、百人が見ても1人の光彦しかいない。
最近の若い人には想像力が欠如していると言われているが、要するに本を読まなくなったからではないかと思う。読解力が世界の15位になったのも、本を読まなくなったからだ……というのが、今日の私の言いたいことのオチ。
これが言いたかっただけなのに、オチにいくまでが長すぎた。

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