内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
遺骨
2021.9.12 Sun
内田康夫著『遺骨』を読み返した。
出版されたときと、その後も一度読んでいるはずなのに、夫が逝ってから改めて読み直して胸が痛くなっていた。胸が痛くなって目が大量の汗をかいていた。
それは犯人を追う推理小説としてではなく、第5章の『死生観』の浅見家の家族の会話だった。
脳死と人の死についてが夕食のときの話題で、甥の素朴な質問に対して光彦が「脳の機能が100%失われたとしても、外部からの刺激にまったく反応しなくなっても、脳のどこかで刺激を感じているかもしれない」とか「脳が死んでも、脳に繋がっている神経の一本一本に心のかけらのようなものが宿っているかもしれない」というようなことを言うと、それに対して雪江が「意識がなくなって無反応になって三日三晩、横たわっているだけの愛犬を安楽死をさせる事になったとき、もしかしたら愛犬 の心は『注射はしないで……』と言っていたのかもしれないと思ったら、今でも辛い気持ちいなる」, etc.と。
この作品を書いたときはもちろん、いずれ自分(夫本人)も死ぬことは分かっていても、その時点では自分の死を現実のことと捉えていなかったはずだ。
しかしその何年か後に倒れて3年後に意識がなくなり、まったく無反応になったとき、夫は生命維持装置につながれた。そしてそのときから穏やかだった夫の表情は苦悩の表情に変わった。
一週間ほどして無反応の苦悩の表情のまま、私に全身の力を振り絞るようにして「ア・イ・シ・テ・ル」と言ってくれた(私の目は汗だくだった)。そして、全面的に介護を手伝ってくれた友人には、口びるで必死になって「ア・リ・ガ・ ト・ウ」と伝えてくれた。
やはり脳に繋がっている神経の一本一本に心は宿っているのだということを、死を迎える前に夫は実感したに違いない。
生命維持装置を外すのを待っていたように微笑んで、夫は逝ってしまった。夫は「維持装置を外して、外して」と言っていたに違いない(うわー! 胸の辺りがキュンと痛くなった……が、これは脳がショックを受けて心臓に刺激を与えるから、そう感じるだけだと、甥の台詞)。
夫とのそのあたりのことは拙著『夜想曲……』に書いた。だから私は自分の作品を読み返すことができない。
いずれは私にも訪れる『死』だけど、私が無反応になったからって、私の側で私の悪口は言わないでねと、近しい人に頼んでいる。脳と心臓が停止するまで『心』は生きているんですからね!……と。