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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

栗ご飯

2021.11.28 Sun

冷凍してあった栗でご飯を炊いた。思えば9年ぶりの野生の栗のご飯だった。
あの時は夫と二人して「美味しいね!」なんて言いながら、何だか絵に描いたような幸せな夕餉の風景だった。
我が家のお向かいの敷地に栗の木がある。もちろん野生で、秋も深まると駐車場と言わず道路と言わずたくさんの栗の実をばら撒いてくれた。野生だから、大人の親指を少し大きくしたくらいの可愛い実だ。同時にイガだってばら撒いてくれた。
別荘の主は東京に帰っていて留守だし、このまま放っておくと車に潰されてしまうのがオチだ。勿体ないので、大きめで良さそうなのを毎日拾っていた。
拾った栗を一個一個皮を剥いてサッと茹でて、二人の一回分づつ小分けして冷凍しておくのだ。そして時々栗 ご飯にして「美味しいね!」だった。
小さな栗で皮むきは面倒だったが、でも皮むきもご飯も『しあわせ色』のひとときだった。
あの日からは、栗拾いなんて状態ではなかった。
でも今年は当たり年だったらしく沢山落ちていた。ふと気まぐれに一粒拾ったのが運の尽きで、次から次に目が栗を追っていた。豊作と言っても相変わらず粒は小さく、虫食いが多い。私はより粒の大きく虫の食ってないものを目で追いながら拾う。
ちゃんとした靴を履いてないと、サンダルからはみ出した足がイガに当たって冗談でなく「痛ッ!」。気が付くと、たぶん5~60粒は超えていたと思う。その数の皮むきは結構指が疲れるなんてものではなかったが、茹でて冷凍した。
『忙中閑あり』で、友人が陣中見舞いに来てくれた。
フレンチだのイタリアンだのは食傷しているだろうと、その冷凍栗でご飯を炊いたのだった。おしゃべりをおかずにして、渋皮の残る栗ご飯は美味しかった。
お向かいは栗が豊作だったけれど、我が家のどんぐりも豊作だったらしい。毎日毎日コロコロと玄関先にまで転がって来て、掃除がたいへんだった。
こんな時にリスが団体でやって来てくれるとうれしいのだけど……と、そんな幼稚な風景を妄想していた。
あのころ、毎日ベランダにリスや小鳥がやって来たっけ、ひまわりの種を2キロ単位で買っていたっけと、まだ私は思い出をたぐり寄せている。いつまでもだらしないヤツだ。

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