内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
54年前のラブレター
2021.11.14 Sun
夫が逝って3年8ヶ月が過ぎた。
夫が逝った年の6ヶ月後に遺産相続の手続きは済んだ。しかしその後に相続の申告に漏れはないか、国税局の調査が入ることを知った。
我が家の収入は全て銀行振り込みだから隠しようがない。それでも生命保険だとか、例えばゴルフの会員権だとか、金塊などの申告漏れがないかなどを調べるのだそうだ。
夫は執筆が究極の趣味のようなものだから、ゴルフの会員権などに興味はないし、まして金塊だなんてそんなものに興味もない。
しかし家の中を調べる調査だからコロナ禍のために先送りになっていて、この10月下旬に軽井沢の自宅と銀行の貸金庫、11月上旬に東京のマンションの調査が行われた。
法律上義務づけられていることなので仕方ないが、貸金庫の調査のとき、胸キュンのものが出てきた。54年前の夫からのラブレターと、52年前の私への想いを走り書きした原稿用紙だ。用紙がかなり劣化が進んでいただけに、過ぎ去った時間が切ない。
ノロケっぽくなるけど、改めて読み直すと初々しく切々とした私への想いが綴られていた。これでは私がノックアウトされてしまうはずだし、文章に将来の作家の片鱗を感じさせた。
ラブレターのことは、たぶん拙著『一枚の絵の中に』に書いてあったと思うが、走り書きの生原稿(?)を読み直すと、貧しかったけど若かったあの頃の自分を思い出して、胸がキュンではなく、熱い想いがこみ上げてきて息苦しくなっていた。
親の財産を貰ったわけでなく二人で一所懸命働いていつの間にか老いて、気が付けば右肩上がりの豊かさの中に、しあわせな自分が今ここにいた。
しかし……。夫はしあわせな人だった(たぶん!)。
愛してやまない女性(ごめんなさい!私のことです)をゲットして、作家になるつもりではなかったのに多くの作品を残した。そしてコロナ禍を知らずに愛してやまない女性(ごめんなさい!私のことです)に看取られて、「生まれ変わってもまた結婚してくれる?」と、微笑みながら旅立って行った。
いずれ夫が私を迎えに来たとき、この手紙や原稿用紙を持って行ったら、たぶん彼は大いにテレまくり「あれは若さがさせた愚かな錯覚だよ」と言うに違いない。そのことを友人に言ったら、その様子が目に見えると大笑いされた。