内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
無
2022.8.2 Tue
二ヶ月ほど前に夫とキャリーが私を迎えにきた夢を見たが、また夫の夢を見た。
今度は石や岩がゴロゴロしている河原のようなところを、夫に先導されて危なっかしい足取りでついて行く夢だ。
小石につまづいたり、つかまった岩が崩れたりとほんとうに歩き難くい。前方を見ると何人かの人が楽しそうに歩く姿が見えたので、「私 あっちの道に行く」 と 言ったところで目が覚めた。
キャリーと一緒に私を迎えに来たときも、何だか夫の姿が透明っぽいなと感じていたが、今度はもっと透明っぽかった。
人間は死ぬと風のような『無』になると私は思っている。『無』は『無』だ。死に対する宗教感は人それぞれで、私は全くの『無』になると思っているので、夫 も風の ような『無』になって、私のそばにいてくれているのだと……、いいトシをして、やっぱり私は大人になりきれてないのかもしれない。でも『無』ということがどういうことなのか、まだ分からない。
でも何で夫が迎えに来る夢を続けて見るのだろう。私が逢いたい、もう一度逢いたいと思っていることが夢をみることにつながっているのだろうか。
そう言えば拙著『夜想曲』を読んだという人から手紙が来た。
愛する人と来世も結婚したかったら、その人が入っている宗教の祝福を受けるべきなのだそうだ。そうしないと他の人と結婚することになるって。
私は全くの無宗教だし、亡くなる前に夫が「生まれ代わっても、結婚してくれる?」「ぼくもイギリスで待っているから」と言ってくれたので、その宗教の祝福を受けなくてもいい。
それより、そんな手紙が来たと知人たちに言うと、一様に「え~? 来世もまたあの夫と結婚させられるなら、祝福は受けたくない」と言っていた。このバチあたりめ! 夫だってそう思っているわい!