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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

鈍くさいイチョウたち

2016.11.21 Mon

東京の神宮外苑にある絵画館前の通りが、私はむかしから大好きだった。そこは映画『第三の男』のラストシーンを想像させる、まるでヨーロッパの風景そのもののイチョウ並木で、そこを通る(今はタクシーでだけど)とき、私は楽しいときも哀しいときも、美しいヒロインのつもりになれる。
樹齢はどのくらいなのだろうか。老齢に入った女性が腕を伸ばすと、その二の腕の内側でぶらぶらしている筋肉のようなものが、枝だか幹だかにぶら下がっているから、100年ではきかないだろう。ひょっとしたら200年?
並木の距離は分からないけれど、通りの両側にずらっとならんだイチョウが見事に色づいていた。
以前、東京駅の丸の内側の、二本だけさっさと色づいたイチョウを『鈍くさいヤツ』と笑ったけれど、絵画館前のイチョウは、すべてが素敵に鈍くさかった。
むかし夫と出会ったころ私は青山に住んでいた。それも青山通りに面していた……というと聞こえはいいけれど、当時の公団住宅の単身用アパートで、玄関を含めて6畳くらいしかなかった。それでも1000倍近いくらいの抽選で当たって、随分と羨ましがられたものだ。
大好きな青山暮らし。若くて貧しくて、だから会社が休みのときは、外苑あたりをよく歩いたものだ。芽吹きの若々しい緑、息苦しいほどに濃かった緑が色づいてそして散っていくイチョウ。
夫になる人と出会って恋をして(多分!)ドライブのあと、アパートの前で私を下ろして去って行く赤いカローラのテールランプを見送って……。
そんなしあわせいっぱいの二人だったのに、時が経って夫が脳梗塞で倒れ、私は介護に明け暮れている。
あのイチョウたちは散っても、春になったらまた芽を吹くけれど人間はそうはいかない。
歩道に降り積もった葉っぱを、キャッキャッと笑いながら蹴飛ばす幼児を見守る、若い両親。その親子にハラハラと散ってくるイチョウ。
あの両親だって幼児だって時が流れたら……と、美しいイチョウ並木が今日は限りなく切なかった。

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