内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
やっぱり夫?
2019.9.22 Sun
『北海道展』を見にいらしてくださった編集者の方と、浅見光彦記念館の玄関前で立ち話をしていたら、黒くきれいなチョウチョがいた。
ヒラヒラと飛んでは羽を休め、休んではまた私の前を飛んでいる。
夫の作品の『小樽殺人事件』はクロアゲハが重要な鍵だったし、四六判の『遺骨』の表紙にもチョウチョが描かれていたなァと思い出していた。
事務局に行ってiPadで調べたら、目の前の蝶はたぶんカラスアゲハだと思う。
ケータイで写真に残そうと玄関に出たら、もうチョウチョは姿を消していた。
「あれェ、どこに行ったの? 出ておいで」と呼んだら、私の目の前にまた姿を現して、床に止まり羽を広げて休んでくれた。
私は驚かさないようにそっと近づいてシャッターを切った。4枚も5枚も撮った。
もしかしたら夫? と、家に帰ってからも何度も何度もチョウチョの写真を見ては、夫かもしれないと胸キュンだった。
私は死=無だと信じていた。死んでしまったらまったくの無になるのだと思っていた。
でも『無』ということはどういうことか、答えはだせなかった。
夫が逝ってしまって1年半も過ぎるというのに、いまだに夫の夢を見たり、すぐそばに気配を感じたりして『無』ということではないのかな? なんて思うようになっていた。
先日のジバチの件にしても今回のチョウチョにしても、私の心は少し行き場を求めているのかも……と。
でも知人から手紙をいただいて、「家族(私)にしかわからない方法で、故人からメッセージが届く」と知り、やっぱり夫は私のそばにいてくれてるんだと、また胸キュン。
私はまったくの無宗教派だけれど、夫のことだけは信じていようと目にちょっぴり汗をかいてしまった。