内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。
表参道の変貌
2017.2.16 Thu
先日、野暮用で青山に出かけた。青山と言えば、50年近くになるけど、夫と出会ったころに私が住んでいたところだ。
そのころ勤めていた会社の最寄り駅は『三越前』で、私のアパートは『外苑前』と『神宮前』の中間あたりにあった。だから本来なら、会社には『三越前』寄りの『外苑前』の定期券を申請するべきなのだが、私は違反ではないけど少しズルをして、一駅渋谷寄りの『神宮前』を申請していた。
何故って、渋谷に出かけた帰り、一駅分の電車賃の節約になるから……。
若い時っていろいろ考えるのだなァと、笑ってしまう。
その『神宮前』がいつのまにか『表参道』に変わっていた。駅名に惹かれて、私は少し『現実逃避』をしたくなった。
あのころの表参道は大人の街だった……と思うのは、私の錯覚なのだろうか。あの頃の私は貧しかった。それでも表参道を歩くときは少し居ずまいを正して、少し背伸びをしてきどってウインドウショッピングをしたものだ。
20代半ばは立派な大人だけど、私は『大人』になったつもりだった。
時々車で通り抜けることはあったけど、表参道の変わりようにはびっくりしていた。どう見ても東京人ではないなと思わせる若者やオバサンたちの、自由で華やかなファッションに溢れていた。私は軽井沢に引っ込んでいるうちに、すっかり浦島太郎美になっていた。
同潤会アパートはなくなり(ニュースでは知っていたし、代官山の同潤会アパートのことは夫の作品で触れている)すっかり欧米化して(欧米化……と言っても、タカ&トシじゃない!)、旧市街という趣きはなくなっていた。
老兵は消えゆくのみ……をしみじみと噛みしめていた。