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内田康夫夫人であり、作家・エッセイストでもある早坂真紀の随想を不定期でお届け致します。

終わる

2022.3.13 Sun

夫が亡くなって4年が過ぎた。『夫が逝ってしまった』という意味と現実を、私は未だに理解できないでいる。
もう10年ほど以前に、私が作詞した初めてのレコードの作曲家が亡くなったと聞いたとき、彼がこの世からいなくなったということが、言葉では表現できないけれど何だか不思議な気がした。その後も直接の知り合いではないけれど、私と同世代の有名人が亡くなっていったときも、この世からいなくなってしまったということが理解できないでいた。
そして今年、軽井沢の我が家のお向かいの別荘のおばあさまが亡くなったと、お孫さんが知らせてきた。最近はお会いしてなかったが、もう40年近い夏のお付き合いだった。
すでにおじいさまやお母さまを亡くしている、50歳になるかならないかのお孫さんは、「皆が段々とあちらの世界に逝くので、私も逝くことへの恐怖心が緩和されていく気がします」と書いてあった。
そのうち私もあちらの世界に行くのだが、夫が亡くなったあと、私の生命の『終わり』が来ることに恐怖がなくなっていることに気がついた。夫に「いつ迎えにきてもいいよ」と言っている私がいた。
生まれてきたからには終わりがくる。でも終わりがあるのは生命だけではない。北京オリンピックの羽生結弦(以後敬称略)の演技を見ていて、『終わる』という言葉がなぜか私の心に居座ってしまった。
もちろん羽生結弦の選手生命が終わったわけではないけれど、浅田真央もロシアのプレシェンコもカール・ルイスも第一線であることは終わった。
芸能界のスターたちも、いずれはスターであることに終わる時がくる。政治家だって政治家としての終わりがくる。
ナポレオンだって、マリー・アントワネットだってその時代は終わった。
……と訳が分からないのだけど、最近の私は『終わる』ということが頭の中から離れなくて困っている。
コロナのせいでお籠もりやワクチン接種などで、心がちょっと落ちているのかもしれない……と書いていたら、編集者の方から西村京太郎さんがお亡くなりになったと、連絡が入った。
文壇で作家同士のお付き合いはあまりないものだが、京太郎先生は闘病中の夫を見舞ってくださったり、夫と私の短歌集にお言葉をくださったりと……、やっぱり終わりがあるんだ!
『終わる』か……。

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